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借りの哲学 (atプラス叢書06) 単行本 – 2014/2/27

3.9 5つ星のうち3.9 7個の評価

私たちの持っているもので、人から借りていないものがあるだろうか?

「借り」を軸に『聖書』『ヴェニスの商人』『贈与論』などのテクストを読みなおし、「借り」の積極的価値を考察する。資本主義再考の基本文献、待望の翻訳。

解説=國分功一郎
借りという概念への注目それ自体も興味深いものだが、より興味深いのは本書がこの概念を積極的な意味で評価しようと試みている点である。借りはしばしば否定的な意味で受け止められる。借りは人に返済の義務を負わせ、義務は人を縛る、と。しかし、借りこそはよりよい社会を作り上げるための基礎になるのではないか、というのが本書の問題提起にほかならない。(解説より)

▼目次▼
はじめに――《負債》から《借り》へ
借りたものを返せないと奴隷になる
《負債》と資本主義
《借り》と資本主義
《借り》の概念を復活させる
《借り》を肯定的に捉える
《贈与》と《借り》の関係
臓器提供の話
自分には《借り》があると思うことの効用

第1章 交換、贈与、借り
『ヴェニスの商人――人間関係が持つ複雑性』
《贈与》と《負債》が同一の軌跡をたどるとき
《本当の贈与》とは何か?
キリスト教における《負い目の論理》――ニーチェの考え
原始経済における《負債》の理論――モースとニーチェ
モースの『贈与論』
《贈与交換》を取り入れた社会
ニーチェの『道徳の系譜』
《贈与》と《交換》と《借り》の関係
家族における《貸し借り》を共同体が引き受ける
貨幣経済をもとにした資本主義――「《等価交換》―《負債》」のシステム
金融市場を通じた《負債》の増大
《借り》を大切にする社会
《借り》のシステムと政府の役割

第2章 《借り》から始まる人生
タラントのたとえ話
神から与えられた才能は世の中に返さなければならない
《借り》と支配
ブドウ園の労働者のたとえ
《生まれながらの借り》
《義務》は物質的な《負債》から生まれた――ニーチェの考え
物質的な《負債》は《義務》から生まれた――バンヴェニストの考え
負債の神学――マラムーの考え
同時代に生きている人々に対する《借り》
家族における《借り》
母と子の関係
ソロモン王の裁判
父と子の関係
サンタクロースの贈り物
家族における《貸し借り》の問題
《借り》と《罪悪感》
ナチスの罪と《罪悪感》
人間は罪を犯しやすい
《返すことのできない借り》――メランコリーと強迫神経症の場合
《象徴的な返済》と《想像的な返済》
《借り》と《責任》
レヴィナスにおける道徳的責任
《他者に対する責任》と《生まれながらの借り》のちがい
《借り》は《責任》の大きさを限定する
《借りの免除》――「赦し」の問題
どうしても赦すことのできない《罪》をどうするか?
「正義」と「赦し」――ニーチェの考え
「赦し」の実体――慈悲の心と感謝の気持ち
スピノザにおける感謝の気持ち
キリストの愛
現代における《借り》とその免除

第3章 《借り》を拒否する人々
ドン・ジュアン――《借り》を拒否する人生
《借り》を認めない
自分としか契約を結ばない男
肥大した自己愛
《借り》から逃走する
空虚な内面
個人主義と《借り》の否認
「革命」と「自由」の矛盾した関係
仮面の個人主義
《借り》から逃げることの悲劇
薬物嗜癖と《返すことのできない借り》
現代人と騎士の石像
ドン・ジュアンの末裔たち――自律した人間(セルフ・メイドマン)から機会主義者(オポルチュニスト)へ
自律した人間(セルフ・メイドマン)――《借り》を認めない人々
全能感という幻想
機会主義者(オポルチュニスト)――《借り》から逃走する人々
人間の部品化
逃走者の自由
人間は《借り》から逃げつづけることはできない

おわりに――《借り》の復権
《借り》の負の側面
《借り》の正の側面
《返さなくてもよい借り》
新しい自分を目指す
解説
借りに満ちた世界、そして……

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 太田出版 (2014/2/27)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2014/2/27
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 232ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4778313933
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4778313937
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 7個の評価

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國分 功一郎
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2023年9月27日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    負債が人の生き死にを握っていた時代から、負債を金で帳消しにできる時代になった。
    しかし、今の時代も形を変えてより大きな負債は存在する。
    金でかたがつく社会の体なので、人とのつながりが弱くなっている。
    繋がりが弱くなることで、金のない人は助けを求めることもできない。
    その穴を埋める方法の一つとして『借り』を考えるてはどうか?という提案。
    昔から思ってたことを言語化してもらい、スッキリ。
  • 2014年7月14日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    古代社会において「負債(恩)」は人間関係の基本であると同時に個人の自由を束縛する要因となっていた。資本主義が発達するのに従って、この「負債(恩)」を金銭で支払うことが可能になった。これはそれまで「負債(恩)」に束縛されていた個人の解放につながった。しかしそれは人間に値段をつけることになり、新しい形の支配や暴力に曝されるようになってしまったともいえる。

    近年社会からの〈借り〉から自由でいたいという思いから、社会から関係を断ったり、社会から離脱していく人間が現れてきた。タックスヘイブンなどに移住をする金融資本家たちである。彼らは税という形で社会に〈借り〉を返すことを拒否した人々である。同じ同類とは知り合う機会はあるが所詮裏切り者通しである。心通じ合うことはない。そのため彼らの内面は次第に空虚になっていく。そしてそこから逃れるために快楽(金儲け)に依存することになる。彼らはネットワーク社会から多くのものを借り、それによって自分の利益を図りながらその〈借り〉を返さないという形で生き続ける。その結果自らが金儲けの部品となってしまい結果的に自由を得ることができない。

    〈借り〉を金銭で支払って自由を得ることはこれまで正しいことだと思っていた反面、新自由主義者のやっていることを見ていると違和感も持っていた。本書では、〈借り〉を金銭で清算しても人は自由になるどころか社会から孤立していくという。そして、内面空虚さを埋めるためにますます金儲けに依存していくという著者見解は面白い。

    人は生まれながらにして〈借り〉を抱えている。この〈借り〉は貸し手に金銭で支払うことがでず、常に不均衡である。そのため、人は謙虚になり感謝の気持ちを示すようになり、こうして社会は「愛」と「感謝」に満ちたものになるというのが、〈借り〉の正の側面であるという。これらの〈借り〉を別の人に返すことにより、個人の一生を超えた長い歴史の中で連綿と続く〈貸し借り〉のやりとりの中に身を置くことができる。それは歴史の意味を与えることになるという貸し借りの論理は、資本主義社会にどっぷりつかった身からすると刺激的な見解といえる。
    24人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2014年8月11日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    一晩で読み上げました。
    引き込まれましたが…再度読み返す必要ありかなっと
    3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2017年1月17日に日本でレビュー済み
    著者は≪等価交換≫-≪負債≫のシステムから、≪贈与交換≫-≪借り≫のシステムに変えよ、という。
    具体的にいえばこういうことだ。
    親の介護が必要になったとき、≪等価交換≫-≪負債≫システムでは金銭との等価交換で介護サービスを受けることができるが、もしサービスへの支払いができなければ≪負債≫が生じる。一方、≪贈与交換≫-≪借り≫システムでは嫁なり子供なりが無償で親の介護をする。親は子供や嫁に対する≪借り≫が生じるが、そもそも人間は≪借り≫を背負って生まれ、親など誰かの世話になって育ったのだから、その≪借り≫を共同体に返すのは当然である。

    筆者は「親の介護は子供がしろ」と言っているわけではなく、≪借り≫は誰に返してもいい、と言っていることがポイントだ。親の介護をするかわりに子育てをするのも、≪借り≫を返すことになる。じゃあ親の介護はどうすんねん?というと「「家族の代わりに社会が引き受けたらどうか?」というのが私たちの提案である」。各自の適性にあった方法で、金銭を介在せずに、社会に≪借り≫(日本語の感覚でいうと≪恩≫だろうな)を返すこと。巡り巡ってお互い様、というわけである。『お互い様の哲学』と言ってもいい。

    著者は言う。
    「借りる一方だけの人もいなければ、貸す一方だけの人もいない」
    「人は貸し手になったり、借り手になったりしながら、お互いに依存して生きていく」
    そう、借りる一方だけの人もいなければ、貸す一方だけの人もいないだろうが、問題は人間の能力は平等ではない、ということだ。「借りる量」が多い人もいれば「貸す量」が多い人もいる。
    そこに「お互い様」哲学の陥穽がある。人間の本能的な感情である損得勘定は人間関係における≪貸し≫≪借り≫の量を常にはかっている。介護の話にもどろう。親と同居し、親の介護を一身に引き受けてきた子供と、一切親の介護をしなかった子供が、同じ額の遺産を貰った場合、介護に明け暮れていたほうは「損」をした気持ちになるだろう。「お互い様」といって笑うことはなく、負担感や不公平感が生じるのである。
    著者は「≪借り≫という輪が鎖となり、人々をつないでいく」というが、実際のところ、これは怨恨の鎖となりうる。
    また≪借り≫とは行動規範にもなる。例えば病気で子供が埋めなかったり、介護をしなかったりする嫁、働きもせずテレビばかり見ている嫁は「あの嫁は嫁として平均的な≪借り≫を返していない」と非難されるだろう。もちろん、本書の著者ならその嫁は彼女なりに社会に≪借り≫を返しているのだが、姑はそう思わないし、地域の人もそう思わない。隣の嫁に比べたら、≪借り≫の返済量が少ない!という考えを人間はするものなのである(子供を3人育て、働くママで、介護もして、町内会にも参加している!)。
    著者は≪借り≫を平均(隣の嫁)レベルに返せない人の針の筵具合がわかっていない。世の中は、≪お母さん≫ではないのだから、アマルティア・セン風に、各自の適性など考えない。テレビを見ることが得意な人はテレビを見てればいい、とは考えない。嫁には嫁の与えられた仕事をしてもらいたいだけなのである。
    そう、その嫁は家から出て≪等価交換≫-≪負債≫システムに戻っていくだろう。病気で金がない場合、≪等価交換≫社会では最低限のサービスすら受けられないかもしれないが、嫌味を言われたり、場合によっては虐待を受けながら家族や共同体の面倒になるより、金銭で乏しいサービスを望む人が多いのではないか。場合によっては借金もするだろう。そして冒頭に戻る。で、「共同体に帰れ」と言えるだろうか?

    この本は一つの知的踏み絵になるだろう。前提を間違えば、結論も間違う。
    一切食べなければ痩せられるとするダイエット本みたいなものだ。そう、いい話だが、人間はそういう風にはできていない。
    17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2016年7月24日に日本でレビュー済み
    親子の《借り》に対する考え方が,未婚率,少子化,離婚率の高さの理由の一つだと考える.
    2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート